特別展「松島 瑞巌寺と伊達政宗」を観てきた。松島には何度も足を運んでいたけれど、三十三年に一度の秘仏五大明王像)開帳に立ち会えたことはなく、次の2039年まで先が長いなと思っていたところの企画展だった。
震災復興祈念ということで史上初めて外へ出されたということだったが、それに見合った厳かな展示室だった。

ポスター写真を見ると憤怒の形相が並んでいるが、眼前に並んだ明王はどれも優しく感じた。
自分は、いわゆる菩薩顔といわれる何を考えているか分からない優し顔が、どうしても地獄へ手招きしているように見えて怖いと思っているけれど、だからこそ感情を表に出している明王に安心しているだけかもしれない。

瑞巌寺と言えば、本堂へ向かう杉木立が神秘的で、晴れの日には木漏れ日が、暗い日には薄霧が立上る空気が大好きだった。
『だった』というのは、今はもう見られないからで、千本を越す杉は先の津波でほとんどが倒れ、見る影もなくなってしまったからに他ならない。(※津波で直接流されたのではなく、海水に浸かったことによる塩害)

今も復旧工事が進んでいるので、死ぬまでには以前の深い森に戻ったらよいなと願っている。

不特定多数に対する情報発信

何年か前に炎上してから、不特定多数に対して何かを発信するのが怖い。
当時粘着していた人達はもうどこかに行ってしまって誰も残ってないんだろうけど、それでも克服はできていない。
表サイトで更新を再開しきれなかったのも、多少この件が影響しているかもしれない。

さすがにもう、話が通じない人達と延々お話するような気概も誠実さも残ってはいないけど、そういった人達が目の前に現われるだけで相当げんなりするだろうから、あまり尖ったことも書けないし、それなら書く意味もないよなあ、ということ。

だからというわけではないけれど、ここの日記は積極的に宣伝するつもりはないし、何かを発信しようという気も今のところはない。ただ、一般公開しているわけだから、その点は弁えて書くつもりである。


小学館がガチでアフィリエイトサイトを作ってきた!という話

先日、Androidで『ジャンプ+』や『マガジン』の公式アプリをインスコしてみたんだけど、マンガ閲覧のために動画広告や各種サイト登録でポイントを貯めよう!みたいなしくみが搭載されていて大層驚いた。
そこらへんの野良アプリで横行されている手段を、まさか天下の集英社講談社が採択する時代が来るとは思いもしなかった。そこまで業績がマズいのか、あるいは印象低下するという認識がないのか。どちらにせよ、あまり良い手ではないのではと思えてならない。

続かなかった話

どこぞのハウスが引越たと聞いた。
やあやあ今こそ個人ニュースサイト(死語)で成り上がるときぞ、となるような気勢は世の中どこにも残っていないのが現状だと思われる。かくいう自分もその中の一人である。

情報が氾濫する今こそ、誠実さが評価される筈。
そう思ってサイトを再開させようと一念発起してみたものの、みごとな三日坊主に終わってしまった。あまりの申し訳なさに記事ごと葬ってしまう体たらくだった。

どうして続かなかったかといえば、モチベーションもあるだろうが、なにより余裕がないのが大きい。誤解を解くため先んじて補足するが、『時間がない』とはニュアンスが異なる。

情報のアウトプット、特に創造的な方面については特に、精神的な余裕が必要だと思うことが多くなった。たとえ潤沢に時間があっても、余裕がなければよいアウトプットは望めない。日曜の午後になると明日への不安が高まってくるのもその作用のひとつだと考えれば分かりやすいだろうか。

そんなわけで、初回から言い訳で始まるという情けなさを払拭するため、今後できるだけ、思ったことを吐露していきたいと思う。

頓首